ど根性ガエルの原作者の吉沢やすみさんの妻が献身的

毎週土曜日放送している松山ケンイチ主演の「ど根性ガエル」の原作者の吉沢やすみさんが実は波乱万丈の人生を歩んできたとのこと。

「ど根性ガエル」ヒット当初の年収はすごかったという。

あまり知られていない原作者の吉沢やすみ先生の波乱万丈な人生とは?

また、献身的に支えた妻の文子さんや娘、息子さんはどう思っていたのでしょうか?

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吉沢やすみ先生の「ど根性ガエル」ヒット当初の年収がすごい

1970年に『ど根性ガエル』が『少年ジャンプ』で連載が始まった。吉沢やすみさんが20歳の時でした。

続いて、1972年には、TVアニメ放映も始まり、人気も絶好調となったそうです。

そして、1973年、23歳のときに同い年の文子さんと結婚。’

1974年に長女、翌年に長男が生まれている。

また、一軒家を東京都練馬区に建て、近くのマンションには仕事場を設立するなど順風満帆だった。

年収も5~6千万という当時のサラリーマンの30倍も稼いでいたようです。

そして失踪へ

しかしながら、『ど根性ガエル』の連載が終了すると次のヒット作をなかなか出すことができず、アニメが全く欠けなくなって一時は自殺も考えたとか。

そのまま1か月半もの間、麻雀に明け暮れて雀荘を転々としていたそうです。しかしながらついに所持金も底を尽きて覚悟して自宅に戻ったようなのですが、奥さんはそんな旦那さんをやさしく迎え入れてくれたとか。

奥さんの文子さんのコメント

「怒るよりも、よくぞ無事で、と思ったんです。その後も、何度も失踪していますが、私1人では子育てできませんし、私がいなければ、パパがダメになってしまうという思いも。一度、朝までパパを捜して雀荘を回っていたとき、一緒に捜してくれた友達に『もう離婚したほうがいいと』と言われたことが。涙がボロボロ出てきましたが、そう言われるとなんか、逆に火が付いてしまうんですね」

奥さんは、看護婦の仕事を1日中やりながら家計を支えていった。

その後も吉沢やすみ先生は、清掃作業員やデパートの警備員などで働いたがそのお金は雀荘とスナック通いで消えて行ったという。

小遣いを渡せばスナックに行き、渡さなければ消費者金融から借りるなどして散々な生活を送っていた。

吉沢やすみ先生の娘、息子も困り果てた

そんな時長女や長男が大学の授業料が払えなくなり困っていたところ、

1993年、江口洋介さん主演のドラマ『ひとつ屋根の下』で、ピョン吉Tシャツを江口さんが着ていたことで、ピョン吉人気に火がつき思わぬ収入がw

また、その後子供たちの結婚式の費用に苦しんでいるとソルマックのCMでピョン吉とひろしがCMキャラクターに抜擢されたことで、キャラクター使用料の収入が舞い込んできた。

ダメ先生は相変わらずのスナックと雀荘通いを続けてしまい、とうとう奥さんは喘息や腫瘍が見つかるなどで入院する羽目に。

さすがの先生もこれで少しは懲りた模様でまっとうな生活に戻りつつあるという。

そして現在、『ど根性ガエル』のドラマ実写化へ

そして今回、実写ドラマ化で原稿料が入るようだとか。

一発屋だった吉沢やすみ先生だが、長年にわたって『ど根性ガエル』に助けられるという吉沢やすみ先生にとっても家族にとってもすばらしい作品だったといえるのでしょうね。

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