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沢松奈生子実家の経歴がすごい!旦那(夫)や子供の情報も!ブラックペアンに出演!

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沢松奈生子さんは、TBSの「あさチャン!」で火曜日コメンテーターとして活躍中です。

 

また、ちちんぷいぷい運動部ぷいぷいアスリートとして2012年から同番組に参加されています。

 

そして二宮和也さん主演の連続ドラマ「ブラックペアン」の第2話にドラマ初出演するなど女優デビューも果たし絶好調の沢松奈生子さんについて調べてみました。

 

沢松奈生子さんのプロフィール

沢松奈生子(さわまつなおこ)さんは、1973年3月23日生まれ43歳

168cm、55kg。

兵庫県西宮市出身、牡羊座のO型です。

 

出典:http://kzm91989.com/

 

夙川学院高等学校、神戸松陰女子学院大学を卒業されています。

 

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1988年にデビューし、元女子プロテニスプレイヤーで、クルム伊達公子さんと並び、輝かしい戦績を残し、1990年代の女子テニスブームの全盛期を支えた名選手です。

 

シングルス自己最高ランキングは14位

 

WTAツアーでシングルス4勝を挙げました。

 

クルム伊達公子さんは選手時代のライバルでした。

 

1995年の全豪ツアーでベスト8まで勝ち上がっています。

 

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沢松奈生子さんの家族の経歴がスゴイ!

ひいおじい様の時代からのテニス一家で、実のおば様は、沢松奈生子さんの実母、順子さんとのペアで、1975年ウィンブルドン大会ダブルスで日本女性初めてのテニス4大大会を制覇した沢松和子選手。


また、実父の沢松忠幸さんは、妻順子さんと混合ダブルスを組み、ウィンブルドン大会に出場した経歴の持ち主、実弟の沢松登選手は東レで実業団テニス部で活躍しているという、日本テニス界の名門サラブレッド家系です。

 

お父様忠幸さんのドイツ転勤のため、10歳まで5年間ドイツで育った帰国子女であり、ヨーロッパでテニスで鍛えられた経験をお持ちです。

 

小学校時代のテニス大会でいつも優勝していた「新(あらた)君」に片思いをしていて、一緒に写真をとりたい一心で一生懸命テニスの練習をしていたというかわいい思い出があるそうです。

 

1988年、15歳6か月の時に、史上2番目の若さで、全日本テニス選手権女子シングルスに初出場、初優勝を果たし、1990年のシンガポールオープンで女子プロテニスを統括しているWTAの、WTAツアー初優勝。

 

1992年ウィンブルドン大会4回戦では、当時16歳の天才少女として世界の注目を集めていたジェニファー・カプリアティ選手と戦い、敗れはしたものの、大激戦をかわしました。

 

大学進学と同時にプロ入りをしました。

 

1995年の全豪オープン参加中に、阪神淡路大震災が発生、ご実家の西宮市も被災し全壊となりましたが、家族全員が奇跡的に無事だったとの強運エピソードがあります。

 

この試合では、沢松さん自身の4大大会の自己最高成績を残しています。

 

1998年の全米オープン大会で、クロアチアの16歳の新星、ミリヤナ・ルチッチ選手に敗れた時に、25歳の沢松さんは引退を決意します。

 

同年9月、東京・有明コロシアムで開催されたトヨタ・プリンセス・カップ2回戦でモニカ・セレシュ選手に敗退し、その試合を最後に引退されました。

 

引退当時の世界ランキングは43位でした。

 

プロとして活躍した10年間を通し、世界ランキング50位以内をずっとキープするという偉業を成し遂げました。

 

4大大会でも、最初の1990年全仏オープンから、最後の全米オープンまで、34試合すべてにおいて、本選出場するという輝かしい戦績をテニス界に残されています。

 

ウィンブルドン大会には1990年~1998年まで9年間連続出場を果たしており、オリンピックにも1992年バルセロナ大会と1996年アトランタ大会に2回連続出場をしています。

 

現役引退後は、各地での講演やメディアを通してテニスの普及に貢献されており、テニス試合解説者や、コラムの執筆、マスメディアでのパーソナリティーなど幅広いご活躍は広く知られているところです。

 

テレビでは、ちちんぷいぷいを始め、2本のレギュラー番組に出演中です。

 

現在、日本テニス協会普及本部環境委員と、日本オリンピック委員会総務委員会事業広報専門委員を務められています。

 

2016年12月6日放送の、ちちんぷいぷいでは、「もう一度会いたい人は?」の質問で、沢松さんのテニス上達のきっかけにもなった、「新君」をあげ、翌週13日の放送で、どっきり企画として、新君突撃生電話取材が実行されました。

 

沢松さんは出演中は関西弁で話されており、スポーツ関連のVTR取材や中継放送を火曜日にレギュラー担当されています。

 

沢松奈生子さんの旦那様、お子さんは?

沢松奈生子さんのご主人は、ニューヨーク在勤の洋菓子製造・販売の会社経営者、丹羽秀行さんと2005年にウェスティンホテル東京でご結婚されました。

 

出会いのきっかけは知人の紹介であったそうです。

 

お子さんは女の子が一人いらっしゃいます。

 

彼女は日本女子テニス界の黄金時代を築いた名選手の一人なんです。

 

そんな彼女のテニス歴を振り返ってみました。

 

沢松奈生子さんがテニスを始めたのは何歳?

正解は5歳からです。

 

というか、彼女の家は曾祖父の代からのテニス一家なんです。

 

彼女が5歳の頃、父親がドイツに転勤したんです。

 

つまり、彼女は5歳の頃、ドイツで生活していたというわけです。

 

やっぱり、テニスといったら向こうの方が本場です。

 

しかも10歳までドイツでテニスの腕を磨いていたというのだからなかなか凄いです。

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沢松奈生子さんの学生時代のドイツでのテニス歴

10歳までドイツで生活して、日本に戻ってきた沢松奈生子さん。

 

向こうでテニスを覚えただけあって彼女の青春はテニス一色のようです。

 

若干、15歳6か月で全日本テニス選手権女子シングルスに初出場で初優勝しました。

 

というか、凄くないですか。

 

なんでも、史上2番目だというから恐れ入ります。

 

ちなみに史上1番目の雉子牟田明子さんは15歳4か月というからたった2か月しか違わないんですよ。

 

とにかく、沢松奈生子さんはテニスの天才少女だったわけです。

 

さらにはウィンブルドンジュニア部門のベスト16全米オープンジュニア部門のベスト8進出と輝かしい戦績があげられています。

 

その上、夙川学院高校在学中、2年連続でインターハイの団体優勝ですよ。

 

でも、団体優勝ということは彼女の学校もテニスの強豪校なんですね。

 

ちなみに16歳の天才少女として世界的に注目を浴びていた選手、ジェニファー・カプリアティさんと結果的、敗れたものの大激戦を行いました。

 

大学同時にプロになりました。

 

ここまで行くと輝かしい経歴の持ち主ですね。

 

沢松奈生子さんのWTA最高ランキングは?

とにかく、プロになっても彼女の頑張りは続きます。

 

何しろ、プロとして活躍していた10年間、世界ランキング50位をキープしていたんですから。

 

プロとして世界で活躍していた沢松奈生子さんに1995年、大変な事件が発生しました。

 

そう、阪神淡路大震災です。

 

実家のあった西宮市も被災しました。

 

彼女の家も全壊してしまいました。

 

幸いなことに家族全員無事だったそうです。

 

ちなみにこの時の全豪オープンでは4大大会の自己最高記録を出しています。

 

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沢松奈生子さんの引退はいつだった?

1998年クロアチアの新星、ミリヤナ・ルチッチ選手に敗れて引退を決意した沢松奈生子さん。

 

ちなみにミリヤナ・ルチッチ選手は16歳、彼女は25歳でした。

 

引退当時の世界ランキングは43位でした。

 

だけど、彼女は4大大会も1990年の全仏オープンから1998年全米オープン34試合全部に出場しています。

 

ウィンブルドンでも9年間連続出場したから凄いです。

 

とにかく、引退してからすぐに日本テニス協会普及本部環境委員に就任しています。

 

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沢松奈生子さんと伊達選手は兵庫県下で宿命のライバル

やっぱり、成績で行くと伊達公子選手の方が上なんです。

 

でも、伊達公子選手と沢松奈生子さんはジュニア時代から同じ兵庫県下で宿命のライバルと言われていました。

 

なのでプロの頃だけでなく、アマチュアの時も対戦していたはずです。

 

しかも、県大会で決勝で戦い、さらに全国大会でも戦うというお互い、いいライバル同士だったようです。

 

ちなみに年齢の方は伊達公子選手の方が2学年上です。

 

なので、高校で対戦したのは沢松奈生子さん1年、伊達公子選手が3年生だったわけです。

 

どちらにしても2人ともプロになったので、プロでも熱いバトルを続けたんでしょう。

 

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沢松奈生子さんはオリンピックも出場!

1992年バルセロナ五輪と1996年アトランタ五輪の2度出場しています。

 

勿論、選手としてです。

 

そして、現在、彼女は日本オリンピック委員会総務委員会事業促進広報専門委員を務めています。

 

あまりにも長ったらしい名称です。

 

でも、多分、オリンピックの応援団みたいなものかなと思います。

 

なんたって、2020年には再び、東京でオリンピックが開催されますから。

 

今度は日本のために戦う若い選手たちをサポートしてくれるはずです。

 

それには彼女のオリンピックでの経験が生きてくると思います。

 

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松岡修三さんと沢松奈生子さん

現在、テニス界で話題になっているのが錦織選手です。

 

実は彼のテニスの師匠は松岡修三さんと沢松奈生子さんの2人なんです。

 

とにかく、2人の錦織選手のトークが何かと話題になっています。

 

何でも2人とも彼が小6の時に会っているんです。

 

だけど、その時、沢松奈生子さんの修三氏への辛口トークが面白かったです。

 

最後に

とにかく、沢松奈生子さんは昔も今もテニスのために頑張っているんです。

 

確かにもう、選手として活躍することはないでしょう。

 

それでも、これからテニスをやっていく人達のために彼女はサポート側で活躍していくでしょう。

 

1990年代バブル最盛期に、世界を相手に女子テニスの黄金時代を築いた沢松奈生子さん。

 

引退後は、テレビやラジオのパーソナリティーとして、親しみやすいお人柄でテニスの普及に努めておられます。

 

沢松さんの今後の益々のご活躍と、沢松さんをしのぐような日本のテニス選手の出現に期待したいですね。

 

そんな彼女を思いっきり応援したいです。

 

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