笠原群生は臓器移植の専門医!神の手と呼ばれる理由は?

世の中には、難病で苦しむ患者さんやその家族の方もたくさんいます。

そんな難病の患者さんを助ける方法の1つが、臓器移植。

臓器移植は決して簡単なものではありませんが、臓器移植によって救われる命があるのは事実です。

ここでは、そんな臓器移植の第一人者でもある笠原群生さんにフォーカスを当ててみたいと思います。

出典:http://yajiuma.info/

神の手と呼ばれる名医ですが、笠原群生さんとはどんな方なのでしょうか?

プロフィールや経歴など、まとめて紹介していきますよ。

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笠原群生さんのプロフィール

笠原群生(かさはら むれお)さんは、小児臓器移植専門の外科医。

出身は群馬県で、地元でもある群馬大学を卒業しています。

1966年2月10日生まれなので、現在51歳ですね。

中学や高校についての情報は、残念ながら見つけることはできませんでした。

地元の群馬大学に進学していることから考えても、中学や高校は地元の学校だったのではないでしょうか。

笠原群生さんが臓器移植に興味を持ったのは、大学4年生のとき。

テレビで、現在の島根大学で生体肝移植成功のニュースが流れたことがきっかけだそう。

このとき、「命の炎が消えそうな人が、移植をすることで再び元気になる。そんな夢のような医療を学んでみたい」と強く思い、移植の道へ進むことを決めたそうです。

何気ないニュースが、1人の名医を生んだんですね。

笠原群生さんの経歴

大学4年生のときに移植に興味を持った笠原群生さんは、1992年に医師免許を取得。

群馬大学外科レジデント(研修医)を経たあと、京都大学の臨床移植外科レジデントに空きがあることを知り、真っ先に立候補。

京都大学臨床移植外科のレジデントになります。

しかし、当時の笠原さんは移植に関しての知識も経験も皆無。

周囲の人との差に愕然としたそう。

しかし、知識や経験の差を努力で補い、1999年には京都大学移植外科助手になります。

2003年には京都大学移植外科医長、2005年には国立生育医療研究センター移植外科医長に就任。

2011年6月には国立生育医療研究センター臓器移植センター センター長となり、2017年4月からは同センターの副院長も兼任しています。

こうして経歴を並べてみると、本当に凄い人なんだなぁと実感しますよね。

学生の頃に見たニュースがきっかけで移植に興味を持ち、努力で今の地位まで上り詰めた笠原群生さん。

「努力」と一言で表現してはいますが、その努力は並大抵のものではなかったのだろうとお察しします。

笠原群生さんはなぜ「神の手」と呼ばれるようになった?

笠原群生さんは神の手と呼ばれていますが、なぜ神の手と呼ばれるようになったのでしょうか。

それには、笠原さんの実績を見てみましょう。

・肝臓移植専門医として、1年間に移植60例(世界最多)

・移植後の10年生存率91.1%(全国平均84.4%)

・2013年8月、11歳の先天性代謝異常症の男児への肝細胞移植成功(国内初)

・2014年6月、小児から小児へのドミノ肝移植成功

このように、数々の実績を残し、多くの患者さんを救っているのです。

難しい移植も成功へ導いていることから、いつしか神の手と呼ばれるようになったのでしょうね。

笠原群生さんの家族について

自身が小児臓器移植を行っていることからも、「笠原さんにお子さんはいるのかな?」と思った人もいるでしょう。

笠原さんの家族は、ご両親と奥さま、そして娘さんの4人。

父親は循環器の医師で、笠原さんが医師を目指し始めたのも、医師として働く父親の影響だったのだとか。

奥さまや娘さんについては、著書「こどもの肝移植」でチラリと出てくるものの、詳しい情報はありませんでした。

一般の方ですし、プライベートなことですから当然と言えば当然ですよね。

まとめ

外科医の笠原群生さんについて、紹介しました。

世界には、難病に苦しむ患者さんたちがまだまだたくさんいます。

そんな人たちを救うため、日々現場に立っている笠原さんは本当に尊敬できる素晴らしい人ですね。

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